祇園祭ゆかりの伝統食「みこし弁当」。神輿を担ぐ輿丁さんが神輿渡御の合間に食べるパワーの源
2024.08.21グルメ
祇園祭ゆかりの食べものの一つが、輿丁(よちょう)と呼ばれる神輿の担ぎ手が、神輿を担ぐ合間の休憩中に夜ご飯として食べる「みこし弁当」。食材は米、梅干、たくあん、ゴマのみとシンプルな内容ながら、「この弁当のために神輿を担いでいる」という人もいるほどおいしいのだそう。
今回特別に、そのみこし弁当作りの現場を取材させていただくことに!代々継承されてきたみこし弁当の詳細と共に、神輿を担ぐ輿丁たちの祭りにかける熱き思いをお届けする。
※みこし弁当は一般販売されていません。関係者以外は食べられませんのでご了承ください。
まずは祇園祭の神輿渡御についておさらい
みこし弁当の話の前に、まずは祇園祭の神輿渡御について知っておこう。
7月の1か月間、様々な神事が行われる祇園祭において、もっとも重要とされるのが「神輿渡御(みこしとぎょ)」。7月17日前祭の山鉾巡行で清められた都大路を、八坂神社の大神様を遷(うつ)した三座の神輿が、夕刻から四条寺町の御旅所に渡る。一週間、御旅所に奉安された神輿は、24日の後祭の山鉾巡行のあと八坂神社へ還る。山鉾巡行とこの神輿渡御が揃ってこそ疫病が鎮められると言われている。
その三基の神輿のうち、中御座(なかござ)を担ぐ三若神輿会(さんわかみこしかい)に所属する輿丁が、神輿を担ぐ合間の休憩中、夜ご飯として昔から食べてきたのが「みこし弁当」というわけだ。
みこし弁当を作る一日に密着!
それでは、さっそくみこし弁当作りの現場へ。みこし弁当は、塩でしめた米と梅干、たくあん、ゴマを竹の皮で包んだシンプルな内容。昔ながらの日の丸弁当だが、白飯のおかげで腹持ちが良く、効率的にエネルギーをチャージできるそう。
神輿渡御が行われる当日の朝6時、三若神輿会の会所に輿丁が集まり始める。7月17日は2800食、24日は3500食もの弁当を、輿丁自ら手作りしているのだという。神輿を担ぐ前から、すでに弁当作りという大仕事が朝から始まっているとは知らなかった。
三若神輿会の会所は、京都三条会商店街のほど近くにある、昭和4年に建てられた京町家。その1階に輿丁がずらりと並び、みこし弁当を作っていく。この弁当作りに奉仕できるのは、神輿を担ぐ輿丁のみ。輿丁が一堂に会する熱気に満ちた光景も、通常見ることのできない貴重な場面だ。
弁当作りは、具材を切る人、竹の皮を敷く人、白飯を木型に詰めて叩きつける人、具材を載せる人など分業制。一人ひとりの役割分担が決まっているため、弁当作りは驚くほどスピーディ。
まずは白飯を木型に詰める。同時に、別の人が竹の皮を所定の位置にセット。
竹の皮をめがけて、勢いよく木型ごと白飯を叩きつける。三若神輿会ではこの作業を「飯を打つ」、弁当作り全体のことを「弁当打ち」とも言うそうだ。
ご飯を打つ音がバン!と鳴り響き、迫力満点。
ご飯はまたたく間に次の人へ。ゴマをふりかける。
続いてたくあん、梅干を載せる。
竹の皮でお弁当を包み、最後はワラで縛って完成。この一連の作業は、わずか15秒ほど!流れるように弁当ができあがっていく様子は、あまりに手際が良く、見ているだけで気分爽快。
う~ん、おいしそう!
弁当作りのレーンは3列あり、各列でどんどん弁当ができあがっていく。
10時30分頃、みこし弁当がすべて完成した。白飯の湯気が立ちのぼり、木型に詰めた白飯を勢いよく打つ音がバン!と鳴り響くなか、弁当が一気にできあがっていく様は圧巻だった。
各々が自分の役割に徹する真剣な雰囲気だが、時には冗談が飛び交う和やかな場面も。毎年おなじみのメンバーが多く、チームワークもバッチリ。「みこし弁当ができあがると、いよいよ神輿を担ぐぞ!と気合が入ります」と、輿丁さんたちも意気込み十分。
できあがった弁当は、神輿渡御の休憩中、19時頃に夜ご飯として輿丁が1人2個ずつ食べる。
その他の分には、みこし弁当の縁起を記した赤いお札を付け、お世話になった関係者に縁起物として配っている。
残念ながらみこし弁当は一般販売されていないものの、昔から縁起物として関係者のあいだで大変喜ばれてきたそう。
輿丁歴40年のベテランによると「みこし弁当は安産のご利益があるとして、妊婦さんに渡すと特に喜ばれます」とのこと。
弁当作りと同時に、台所では輿丁100名分のまかない作りが進んでいる。
メニューは毎年、白御飯、味噌汁、だし巻き、かまぼこ、いんげんの胡麻和え。弁当の完成後、輿丁100名が皆でいただく。
その後の予定は人それぞれ。「弁当が完成して昼のまかないを食べたら、会所の向かいにある風呂屋で汗を流して神輿を担ぎに行く。それがお決まり」という人も。
三若神輿会には現在、総勢600名の輿丁が所属している。普段は建設業やお米屋、教師など各々の職に就いており、祇園祭の神輿を担ぐため、京都のみならず全国各地から集結するのだそう。20歳ほどの若者から輿丁歴50年のベテランまで、年代も幅広い。
皆から“長老”と慕われるベテランは「自分が小さかった60年前は、小学校を卒業したら働くのが普通の時代だったので、私も13歳から若者として、弁当打ちに参加させてもらいました。現在、参加は20歳からになっていますけどね」と話す。
別の輿丁からは「昔は輿丁全員ふんどし姿で弁当を打っていましたよ。50年程前までかなぁ」とのお話も。
とはいえ「みこし弁当は昔からの伝統なので、味はずっと変えていません」とのことだ。
みこし弁当の気になる味は?
みこし弁当の気になる味の感想を聞いたところ、「神輿を担ぐという力仕事の合間に食べるので、とにかくおいしい」、「食べると力がついて元気が出る」、なかには「この弁当のために神輿を担いでいる」という人も!
作りたてよりも、少し時間をおいた夜の方が味がなじんでさらにおいしくなるらしい。
同会の近藤会長によると「みこし弁当は一般の方には販売していませんが、私たちにとっては、これも祇園祭の大切な伝統の一つ。輿丁さんも毎年楽しみにされており、これがないと神輿は担げません。今後も継承していきたいと思っています」とのこと。
みこし弁当は食材にも伝統あり
三若神輿会独自の伝統食として継承されてきたみこし弁当。近藤会長は「みこし弁当がいつ頃始まったかは不明です。昔は会所(三条大宮付近)から西院の辺りまでは田んぼで、商売をしながら稲作をしている人が多かった。だから白米の弁当になったのではないか、という可能性はあります」と話す。
京丹波町下山地区には八坂神社の分社があり、みこし弁当の白飯には、その御神田で育った神聖なお米が混ぜられているそうだ。
また、60年ちょっと前までは、会所にあるおくどさんでお米を炊いていた。当時作っていたのは輿丁が食べる300~400食ほどだけだったのに対し、現在は7月17日に2700食、24日に3500食と大幅増。今はおくどさんで炊いていないものの、大きなケース60箱にも及ぶ白飯を使うのだそう。たしかにケースが人の背丈より高く積み上がっている!
梅干は本来入っていなかったが、平成になり0157(オーイチゴーナナ)が世間に流行してから入れるように。昔ながらのすっぱい梅干で、暑い日に食べると抜群においしい。竹の皮と同じく、食材が傷みにくい効果もある。
たくあんは、もともと1本50cmくらいの特大サイズ。それを均等な大きさ、かつ全部が皮付きになるよう切っており、中にはものさしで測って切る人も。漬物屋さんに特別に漬けてもらっているそうで、ほんのり甘い王道の味わい。
近年は良質な竹の皮の数が減り、手に入りづらくなっているため、祇園祭が終わったらすぐに来年の準備を始めるそうだ。
また、最後にお弁当を縛るワラは、機械で刈ったものだと短くて丈が足りないため、機械を使わず人の手で刈った丈が長いものを使用している。近年は人材不足のため、そのワラを確保するのもひと苦労なのだそう。
ここで偶然にも目の前に青稲が!中御座の上部に飾られるこの青稲も、実は八坂神社の分社の御神田で収穫された神聖なもの。
その道50年の輿丁さんによると、「神輿の青稲は、安産などのご利益があるとして、神輿渡御が終わったら関係者が持ち帰り、家の玄関や神棚に飾る風習があるんですよ。一説には粽の数万倍のご利益があるという言い伝えもあるほど、大変縁起の良いものとされています」。
みこし弁当や青稲などが安産のご利益で知られるようになった由来は、明確になっていないそう。だが、取材を通じて輿丁さんたちの情熱あふれる力強い姿を見ていると、自分にも不思議と元気がみなぎってきた。そんなパワフルな輿丁さんに由来するのだから、縁起が良いのは間違いないだろう。
いよいよ神輿渡御へ。輿丁さんの思いもお聞きしました
弁当打ちを終え、いよいよ18時から神輿渡御が始まった。7月17日の神幸祭では八坂神社から御旅所(四条寺町)まで、24日の還幸祭では御旅所から八坂神社までを、それぞれ途中、氏子区域を練って三基の神輿が渡御する。
神輿は約2.5トン。総勢600名の輿丁が、20秒から1分ごとに60名ずつ交代しながら神輿を担ぎ、「ほいっと、ほいっと」の掛け声と共に京都市街地を渡御する。その様子は熱気に満ち、圧倒的な迫力!
輿丁たちは「八坂さん(八坂神社)の神輿を担ぐのは、大変名誉なこと。もちろん弁当打ちも、奉仕できること自体光栄です。どちらも、だれでもできるわけではありません」。
「祇園祭が始まったら夏が来た、神輿が終わったらもうお盆。毎年神輿を担ぐのが楽しみで、このために生きている。7月24日の神輿渡御が終わったら、次に神輿を担ぐまでまた1年かぁと思います」と並々ならぬ覚悟を胸に神輿を担いでいる。
とはいえ、神輿を担ぐのは相当な力仕事。「人生で初めて神輿を担いだ時は、体力が枯れ果てて、水を飲むのも精いっぱい。みこし弁当は到底食べられなかった」
「自分も初めての年は、息が上がって、それが一日戻らなくて、酸欠でこのまま死ぬんちゃうかと思った(笑)。40年経った今は慣れたけどね」となかなかハードな思い出も。
神輿にまつわる様々な話を伺ったところで取材は終了。今日一日の取材を通じて、祇園祭を支える輿丁さんの情熱や誇りに感動すると共に、その力強い姿に大きな元気をいただいた。みこし弁当が独自の食文化として継承され、神輿を担ぐ原動力として今も変わらず愛されているのも感慨深い。祇園祭にはまだまだ奥深い魅力がありそうだ。
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この記事を書いたのは… TOKK編集部I
京都在住。休日の過ごし方はもっぱら京都のまち歩き。美術館や社寺、お笑いライブがとくに好き。花より団子。
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